その不安の部分
日曜日、ニコニコ動画のふたつの画面を交互に観る。
一方の画面は、広場に集まった群衆を映している。
さまざまなプラカードが立ち、反対反対とシュプレヒコールが繰り返されている。大阪を無くすな、市民の暮らしを壊すな、と叫んでいる。これだけ多くの熱気はどこから生まれてくるのだろうか。狂気すら含んでいるように感じてしまう雪纖瘦。
もう一方の画面では、公園の側に止められた街宣車の上から、橋下市長がひとりで都構想について熱弁し、住民の反論や質問に細かく答えている。
都構想を実現したからといって、すぐに住民の暮らしがバラ色になるというものではありません。けれども5年10年とたったときに必ず効果は現れてきますと説いている。未来のことを語っているのだ環保袋。
未来を語る言葉には、理解するのが難しい不確かさの部分がある。予測できない不安もある。反対を叫ぶ人たちは、その不安の部分を煽ってますます不安感を強くする。
だが反対反対という言葉の向こうからは、何も見えてこない。
見えにくい言葉の中の、どちらに真実があるか。本物の熱意があるか。難しい一歩を踏み出すことによって、何かが見えてくる可能性は未来にあると思う。
大阪の月曜日の新聞のトップ記事に、大阪都構想についての世論調査の集計が載った。
反対47%、賛成39%。分からないと答えた人も13%ほどいて、この1週間でどう変化するかわからないという。
住民の力で都市を変えることはできるのか。大阪は変わるのか、変わらないのか。もし変われば他の都市も、さらには日本も変わるかもしれない。
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