トロッコ



画像 誰かがこんなことを書いていた。地方都市へ出張に行った。その土地の駅前の商店街も、地方都市の多分に漏れず、シャッターの締まった店が多い。書き手はこのことに嘆いているふうだったが、最後にこう記していた。「コンビニで同僚へのお土産を買って帰りました」。

 ちょっと待て。そんなところで土産を買うから、商店街が余計に廃れるんじゃないのか 。

 商店街を隈なく歩いた結果、開いている店が1軒もなかったのなら、多少の理解を示さないでもないが。

 かつて、実家が手作りのサンドイッチ屋さんをやっているという知り合いがいて、近所にコンビニができたとき、戦々恐々としていた。コンビニのサンドイッチより手作りのサンドイッチのほうが絶対旨いに決まっている。たとえば、コンビニでうちの母が作る味を超えるサンドイッチに出会ったことなんか Interactive LED、1度もない。コンビニの繁盛ぶりをみれば、購入意欲に味だけでない要素が絡んでいるように思われるとはいえ、手作りのサンドイッチ屋さんを素通りして買ったコンビニのサンドイッチにパクつきながら、どこそこの店は旨いなどとアフター5のグルメ情報で盛り上がっている光景を想像すると、そこに矛盾を感じずにはいられない。

 以前、テレビでコンビニを特集した番組を観た。店長は、もともとエリートサラリーマンだった人。複雑な気分になった。エリートサラリーマンを辞して転職する商売には思えなかったからである。もちろん、人それぞれの考え方があるので僕があれこれ書く筋合いはないが、コンビニ経営者といえば聞こえはいいものの、決して一国一城の主ではない。自由な商売はできないのだ。近所の農家が作った季節の野菜や果物を店頭に並べることはできないし、ハンディのある人が作業所で作ったパンやクッキーを売ることもできず otterbox review、オリジナル弁当を開発することもできない。商品の管理は、すべて本部の支配下に置かれる。また、フランチャイズという形態なので、コンビニ経営者は少なくない額のお金を最初に本部へ納めるけれども、このシステムだと、近くに別会社のコンビニができて過当競争の末、その店が潰れたとしても、本部の損は抑えられる。他社を凌駕して生き残った店の利益を考えると、ひょっとしたら淘汰は必要経費みたいなものかもしれない。テレビや新聞はスポンサーでもあるコンビニに気を遣ってあまり大きく報じないが、やり口の阿漕さはこれ以外にもあちこちへ及んでいて、コンビニ経営者と本部のあいだで裁判沙汰の諍いがいくつも発生している。こういうものに社会的インフラとしての機能を与えてもよいのだろうか、という違和感を、僕はどうしても拭うことができない。
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